境内の東南の隅(社務所の脇)に東南に向いて建っている。総高433cm。制作年代は昭和3年(1928)7月。この鳥居は平成九年の浅間神社社殿移転前は東の入口にあった。刻銘ははしたに刻まれており、以下の通りである。
奉納者の六之橋若者中であるが「新編武蔵風土記稿」によれば、北本所出村と南本所出村(亀戸九、大島七~九)は俗称として六之橋出村とも呼ばれていたので、二ヶ村の若者中と考えてもよいだろう。
境内の東南の隅(社務所の脇)に東南に向いて建っている。総高433cm。制作年代は昭和3年(1928)7月。この鳥居は平成九年の浅間神社社殿移転前は東の入口にあった。刻銘ははしたに刻まれており、以下の通りである。
奉納者の六之橋若者中であるが「新編武蔵風土記稿」によれば、北本所出村と南本所出村(亀戸九、大島七~九)は俗称として六之橋出村とも呼ばれていたので、二ヶ村の若者中と考えてもよいだろう。