ご祭神と由緒

■御祭神

木花咲耶比売命(コノハナサクヤヒメ)

霊峰富士の守り神として開運・縁結びなど、
特に安産、子育ての神としてご信仰を集めています。
先の大戦において、戦火を免れ無事だったことから、
地元の人々は火伏の神としても信仰しています。

木花咲耶比売命(コノハナサクヤヒメ)様は、
木の花(桜の花とされています)が咲くように美しい女性だと言われております。

■由緒・沿革
20140528_日本武尊と弟橘媛その昔、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷ご征討の折、相模から上総へ船で向うとき「こんな小さな海なら、駆けて跳び上がってでも渡れる」と大言壮語し、海を渡りました。ところが海の中程までくると突然暴風が起こり、日本武尊の船は漂って渡ることが出来なくなってしまいました。その時、日本武尊に従っていた弟橘媛(オトタチバナヒメ)という媛が「これは、日本武尊のお言葉に怒った海神の仕業だ」と言い、日本武尊の身代わりに自らの身を海に投じました。すると暴風はたちどころに止み、船は無事、岸に着くことができました。

後に、弟橘姫の笄(こうがい)と櫛(くし)が奥湾に漂着しました。

20140317_たのみ辞碑そのうち、笄がこの辺り高貝(こうがい)洲(す)と呼ばれていた現在の亀戸9丁目(旧神社跡)付近に漂着したと言われています。(左の写真は、現在の笄塚です。)
これをお聞きになった十二代景行天皇は大層愁いて、ここに笄を埋め、祠を立てて祀りました。当時の諸将が苦難の折に、この祠に参り祈願すると何事も必ず聞き届けられたとも伝えられています。

大永七年、後奈良天王・室町時代(1527年)富士信仰の尤も盛んな時代に、里人たちは甘露寺元長に勧請し、霊峰富士山の御守護神・木花咲耶比売を戴き、この笄塚の上に浅間社として創立し、ご遷座を成したとされています。

現在の社殿は、昭和二十年の東京大空襲にもその難を免れ、七十数年を経て現在に至っております。近年鉄骨の神社の多い中で、稀少な木造建築ともなっています。