身禄歌碑

鳥居の右側に建てられている。地上高156cm。扁平な自然石に、身禄歌が刻まれており、次の通りである。

この碑には年号がなく、また建立者の名前も見られない。はっきしたことはいえないが、富士信仰が流行した江戸時代後期から明治時代の間に作られたものと考えられる。建立したのは富士講参加者だという言い伝えがある。弥勒信仰と富士山振興は、近世後期に急速に接近した。もともとの仏教的弥勒信仰と民間の来訪神信仰が習合して、江戸時代までに独特のミロク信仰が成立していたが、江戸時代後期に富士信仰を日田区的に広めた食行身禄の名前が結びついて、富士信仰にミロク信仰が影響するようになったといわれている。

20130317_身禄歌碑